:::: MENU ::::
  • Welcome! to our website.

  • Come on! Join us.

  • Let's enjoy cycling together.

2017/09/03

  • 日曜日, 9月 03, 2017
  • 投稿者:sue
  • 0 Comments

ジャージ作成

6月20日のチーム発足と時を同じくして、伊藤ちゃんからチームジャージの作成について提案があった。“オリジナルは高くつくんじゃないの?”と思いながらネットで調べてみると、何と、フルカラーで自由にデザイン出来て、市販のものとさほど変わらない価格で購入できるではないか!これには非常に驚いたが、そうであれば是非ともチームジャージを作りたい。
ということで早速Champion Systemというメーカに発注することを決め、デザイン作業に取り掛かった。熟考に熟考を重ねたデザインを仕上げ、7月14日に入稿し、校正を一回挟み、8月8日に発注数量等を確定し、代金を振り込んだ後、8月25日にジャージが手元に届いた。
デザイン開始から約2ヶ月もの時間を要したが、手元に届いたジャージは、妥協のないデザインがそのまま再現されており、ジャージの品質もしっかりしている。コストパフォー マンスは非常に高い。

記念イベントライド

そのチームジャージが完成したことを記念して、萩市中心部から須佐へ男命(みこと)イカを食べに行く企画を組んだ。当日はチームメンバーの約半数しか参加出来なかったが、「 萩二輪」のチーム名に相応しい萩城下町で記念撮影を済ませ、須佐へと向かった。
揃いのデザインジャージを着て走るロードバイクの隊列は、何とも言えぬ連帯感や迫力のようなものも感じさせ、秋の始まりを感じさせる蒼く晴れた高い空の下、渇いた涼しい風が吹く環境も相まって、爽快な、気分の良いサイクリングとなった。

倉光っちゃんのEmonda

この日、チームメンバーの倉光っちゃんは、前日納車されたばかりの真っ赤なTREKのEmondaで登場した。たいそうお気に入りの様子で、常にニコニコしている。真新しい自転車に真新しいチームジャージを着て、この上なく幸せそうだ。当然ながら、Emondaについての感想を聞くと、何度聞いても満面の笑みを浮かべながら肯定的な意見を口にする。
実は先週、今までLOUIS GARNEAUの重たいクロスバイクに乗っていた倉光っちゃんを見かねて、半ば強引に自転車屋へ連れて行った。この時は「見るだけですよ!買いませんよ!」と頑なに抵抗していた倉光っちゃんだったが、店を出る頃には自分の意志で契約を済ませていたのだった。
その時から、倉光っちゃんの真っ赤なEmondaを見る目は、まるで恋する女性を見る目と違いはなく、完全に魂を奪われていた。

大刈峠

目的地の須佐に到着するためには、標高約180mの大刈峠を越えなければいけない。標高は 大したことはないし斜度も緩やかなので、何も問題ではないのだが、一名ほど問題となる人物がいる。
それは、萩二輪のトップに君臨する部長である。50代後半にして自転車を購入し、まだ約2ヶ月の初心者。その上、ソフトボールでは剛腕のピッチャーであるが、最近の試合で筋肉痛に筋肉痛を重ね、足は悲鳴を上げている状態。しかも、今までヒルクライムで一気に登ったことのある標高としては、最高が100m程度である。本人も須佐まで到達できるかどうか不安がっていた。
しかし、我らが部長は、部員に示しがつかない行動はとらない。今まで約2ヶ月間の練習においても努力に努力を重ね、休みの日には一人でロングライドを熟し、短期間でメキメキと実力を上げつつある。
結局この日も、持ち前の根性で足の痛みを堪え、本人のヒルクライム最高到達点を難なくクリアしたのだった。若干ブツクサ言っていたが・・・。

男命イカ

大刈峠を越え、須佐に着いた。この日の目的はブランドイカの「男命(みこと)イカ」の活き作りを食べる事だったが、あいにく、最近の時化(しけ)でイカの入荷がないとのことであった。やむを得ず、各々、イカ葱焼き丼やから揚げ定食を食べたが、結局、空腹時は何を食っても旨い。

帰路

我々のチームメンバーの構成は、年齢は20代前半から50代後半、経験年数も数ヶ月から数十年、速く走ることを極めたい者、単に健康維持のために乗る者と、多様性に富んでいる。しかし、皆で自転車を楽しみたいという思いは共通しており、お互いがお互いの自転車の楽しみ方を尊重している。
この様な事から、途中の休憩ポイントを決め、そこまで各自のスピードで走ってみたり、皆で纏まって走ってみたりしながら、それぞれが楽しめるように走る。
特に若い世代は、力の限りペダルを踏みたいものだ。この日の帰路は強い追い風。最高に スピードに乗った巡航が出来たようであり、休憩ポイントで、彼らは興奮気味にその楽しさを話してくれた。

最後の高速巡航

この日のライドも残すところあと15km程度。先ほど聞いた追い風高速巡航の話により、俺のスイッチはいつの間にかONになってしまっていた。我慢ならずに街中に入るまでの約10km弱を一人、高速巡航モードでペダルを踏みこみ始めた。なるほど、気持ちいい!
黙々と自分と闘いながら7kmほど進んだその時、突然携帯電話が鳴った。息を切らせながら電話に出ると、その内容は“倉光っちゃんがコケた”という内容だった。だが、コケたというだけで電話をかけてくるはずはない。何かがあったのだと瞬時に悟り、即座にUターンして皆の所へ戻る。先ほどまでとは異なり、辛く全く楽しくない強い逆風の中の高速巡航となった。

倉光っちゃんのEmonda愛

5kmほど戻ると、顎をハンドタオルで押さえた倉光っちゃんが座り込んでいた。高原君が携帯で救急車を呼んでいる。なるほど、それ程の状況なのかと改めて倉光っちゃんを見て みると顔面は蒼白で軽くショック状態である。さぞかし痛かったのだろう、そして驚いたのだろう。
他のメンバーから話を聞くと、自転車で前転してコケたようであり、その衝撃で顎には幅の広い深い切り傷ができ大量に出血していたという。顎だけではなく、顔にはその他の部分にも擦り傷があり、肩は真新しいチームジャージが破れ、腕にも傷がある。
しかし、救急隊が献身的に救助してくれる中、下の写真は、不謹慎にも俺のカメラに向かい右手でピースをしようとしている瞬間である。もちろん、傷が治ったら厳しく指導するつもりである。
救急車には伊藤ちゃんが同乗してくれた。船山君は倉光っちゃんと伊藤ちゃんの自転車を回収すべく、すぐさま車を取りに萩へ向かった。救急車が出発すると部長と高原君と俺は病院へ向かうため、萩へ向かった。藤谷君と芹川君は現地に残された自転車の見守りをしてくれた。各々が倉光っちゃんを心配し倉光っちゃんのために出来る事を行っていた。
救急車に同乗した伊藤ちゃんから後に聞いた話だが、皆が倉光っちゃんを心配しているそんな時、救急車の中で倉光っちゃんは「僕のEmonda大丈夫ですかね?」と自分の自転車を心配していたらしい。もちろん、傷が治ったら、再び傷だらけになる程度に厳しく指導するつもりである。

倉光っちゃんの更なるEmonda愛

MRIで検査した頭は異常なく、傷の縫合も終え、倉光っちゃんの治療は終わった。病院から帰る車の中で倉光っちゃんは、早速、「僕のEmonda、どこに在ります?」と聞いてきた。片足を引き摺り、縫合した傷も痛むだろうに「まずEmondaを確認したい。」と言う。そして夕闇の中、Emondaと対面し、サドルが一部傷ついた以外は、奇跡的に無傷だったEmondaを見て、傷だらけの倉光っちゃんはやっと安心できたようだった。

短く長い一日

倉光っちゃんは怪我したものの、大事に至らなくてよかった。
しかし、これは本人にとっても、皆にとっても大事件であったことに間違いはない。この大事件のおかげで、あっという間の一日であったようにも思うが、城下町での記念撮影が昨日の事であったかのよな時間経過の錯覚も感じる。
チームジャージ作成記念イベントは、良くも悪くも、濃い一日だった。


この投稿のアルバムを表示する
Do you ride with us?Contact us